籐家具職人の店 みうらラタンの想い
1926年
大正末期より続く籐製品に対する想い・・・
籐の乳母車屋として創業された籐家具職人の店。
未来を支える新しい命を愛する
愚直なモノづくり精神は、21世紀になった今も
主力の籐ゆりかごを筆頭に
今も息づいている。
無垢の自然素材「籐」に命を宿す指先。
最高のコンビネーションで紡ぎだされる
魂の作品。
広島発、アジアの粋は、
ここ「籐家具職人の店 みうらラタン」
から生まれます。
みうらラタンの籐家具
籐は主に東南アジア地方で採れる
ヤシ科の植物です。
成長が早く、短期間で
材料として利用可能となるので、
自然にも優しいエコな材料です。
他の木とともに育つので、
森林がある限り「籐」は存在し続けます。
竹の様にしなやかで、
木の様に加工性に優れており、
しなやかな曲線や編み込みは
籐でしか表現できません。
近年は材料の加工に手間がかかるため
年々価格が高騰し貴重品になっています。
みうらラタンオリジナル商品は
職人歴半世紀を超える
生まれながらの籐家具職人
「三浦明利」が広島でデザインした、
広島発の完全オリジナル商品です。
三浦明利自ら企画立案・
デザイン・製作指揮をとります。
他では得られない価値を提供します。
納得いくまで何度もミーティングを重ね、
インドネシアで最高峰の籐家具職人と連携。
当店でしか手に入らない
最高品質の商品です。
品質は同職人が認める匠の仕上げ。
「籐」の原産国の強みを
最大限に生かした仕上がりです。
職人紹介
籐家具職人 三浦 明利
1947年広島県生まれ。
籐家具職人
籐に囲まれて育つ。
父三浦花市に弟子入りし、籐家具職人として今日に至る。
活躍の幅は職人にとどまらない。
会社経営、人材育成、海外への技術提供、そして、歴史的椅子の復元など多岐にわたる。
今もなお精力的に新たな籐家具作りに挑戦しつつも次世代の育成にも力を注ぐ。
みうらラタン略歴
1926年 (大正15年) |
初代代表三浦花市が広島県広島市竹屋町に籐細工店を創業 |
1944年 | 広島市田中町に移転 |
1945年 | 広島に原子爆弾投下、籐工房、住まい、籐材料全てを失う |
1948年 | 広島市西平塚町に移転、ゼロからの挑戦が始まる |
1970年 | 広島県立美術館に作品を提供 |
1978年 | 広島市中区田中町にショールームを開設 |
1984年 | みうらラタン株式会社設立 代表取締役社長 三浦明利 |
2009年 | 白洲正子の籐椅子を復元・再現 |
2012年 | インドネシアの職人への技術提供開始 |
2013年 | 歴史建造物「新島襄邸」の籐椅子を復元・再現 |
2017年10月 | みうらラタン本社(工房・店舗併設)新設 |
2022年4月現在 | 籐家具職人の店として原点に立ち返りつつも新たな挑戦開始、その精神を次の世代へ繋ぐ。 |
会社概要
社名 | みうらラタン株式会社 |
本店(ショールーム・工房併設) | 〒730-0024 広島県広島市中区西平塚町8-19 TEL 082-247-6371 FAX 082-247-6596 |
取締役会長 | 三浦 明利 |
代表取締役社長 | 三浦 祥太郎 |
創立 | 大正15年 |
営業時間 | 午前9時~午後5時 |
定休日 | 土曜日・日曜日・祝日 |
事業内容 | 籐家具(ラタン家具)の販売・製造・修理 |
URL | https://www.miurarattan.co.jp/ |
お支払方法 | 代金引換・銀行振込み・郵便局振込み・クレジット 適格請求書事業者登録番号:T7240001011305 |